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Peace 9 「松本協立病院9条の会」のニュース

いのちと暮らしを守る

[No.4] 郡山総一郎氏講演会 ほか 

2006/09/01

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こんな取り組みをしています!

医事課9条の会

医事課9条の会では「だいすき9条」の発行を基礎に様々な行動に取り組んでいます。

9月からは午後外来の待合堂での署名行動やあずみの里利用者さんの戦争体験の聞き取りを始めています。

「9条の会」設立総会での百瀬源治さんのお話。

9条の会設立総会で当院の患者さんで被爆者の百瀬さんから戦争体験を伺いました。百瀬さんは現在87歳です。60年以上前の戦時中の話。でも百瀬さんは今でもうなされることかあるそうです。以下には9条の会事務局にて書きとめた百瀬さんのお話をまとめました。

21歳で初年兵として満州にはいりました。3年間の兵役義務が終われば帰国できるのでは、と考えていましたが、現実はそんなに簡単なものではなく結局、終戦の年まで百瀬さんの召集は繰り返されました。21歳だった初年兵のときが昭和14年、終戦を27歳で迎えました。「貴重な青春時代はすべて戦争だった」と思い出します。

広島に原爆が落ちたその後は教育隊として無線の機械を持って広島入りしました。けれども現実に行った広島での仕事は爆死した人々の遺体を掘り出して軍のトラックにのせ火葬することでした。生き残り全身にやけどを負った人から「水をくれ」といわれ水が上げられない。あげてもあげなくても亡くなってしまうという状況の中で無力の自身を感じ、地獄をみるようでした。今でもこうして当時の話をした日の夜などそのときのことが鮮明に思い出され眠れなくなります。

もちろんこのときは残留放射能など全く知ることも知らされることもなかったですから、20年間自分が広島にいた被爆者であることなどかくして来ました。この意識が変わったのは1954年3月1日のビキニ環礁水爆実験のニュースのあとです。この事件で自分自身の体というより、子供・孫などの家族に放射能の影響が出てしまうのではととても心配しました。自分自身の体もいくつもの病気を抱えるようになっていますが、これも被爆したせいではないかと考えています。

今は、広島で見た惨状や青春時代をすごした戦地でのことなどを自分自身の核廃絶への運動や憲法9条を守る運動ののエネルギーに変えています。自分に出来ることが戦争を語ることなら若い世代に語っていきたいと思っています。